ゲームはお好きですか?
現実の煩わしさから離れたところで、架空の宝物や勝利を手に入れようと奮闘するのは、心地よい興奮ですよね。
夢中になれるひと時は、手放したくない贅沢な時間ですよね。
もちろんゲームは現実逃避の道具ではありません。
人を孤独にするものでもありません。
私にとってゲームはいつも、誰かとつながっていると感じられるものでした。
たとえ一人で遊んでいても、このワクワクする興奮を理解し、楽しさに共感し、時には「そこだ、行け行け!」と応援してくれる誰かを身近に感じることができる・・・
私にとってゲームとはそういうものでした。
ゲーム好きの原点
物心ついた頃でしょうか。
今となっては霞んで消えてしまいそうなほどおぼろげな記憶の中に、親戚一同おばあちゃんちで、坊主めくりに興じていた光景があります。
少し大きくなってはっきりと思い出せるのは、クリスマスとお正月には決まって家族でゲーム大会をやったこと。

かるた、トランプに始まって、家庭盤や人生ゲーム。
うれしかったのは、一勝負ごとに1位2位3位とお菓子の景品がつくことでした。
やがて種目は、セブンブリッジやポーカー、花合わせへとステップアップ(!?)

エキサイティングなお年玉争奪戦へと展開していきました。
「こんなことするのは、お正月だけだからね!」と釘を刺されつつも、両親と兄との4人で、時には親戚で集まって毎年なんとにぎやかで充実した団らんの時を過ごしたことでしょう。
この恒例行事は、明らかに私の母方の家系から受け継がれたもので、とりわけ祖母や母が楽しげに遊ぶ姿がうれしく、可愛らしく思えました。
そして普段、昭和の頑固おやじを気取っている父が決してこの勝負事には強くないことも、たまらなく愉快でした。
一定のルールで他者と関わり競い合うことを楽しむという経験を、幼い頃から家庭の中で味わえたのは、本当に幸運だったと思います。
夢中になって遊ぶことを否定されなかったこの経験こそが、今になっても声高に「ゲーム大好き人間」を自認する私の原点です。
お気に入りゲームの変遷
時代とともに遊び道具はどんどんと進化し、私自身が夢中になるお気に入りも幅広く移り変わっていきました。
- カードゲーム(かるた・トランプ・花札・UNO・・・)
- ボードゲーム(家庭盤・人生ゲーム・オセロ)
- テレビゲーム機(エポック社のテレビテニス)
- 携帯型ゲーム機(ニンテンドーDS)
- 家庭用ゲーム機(PS2・PS4)
- PCゲーム(ついに、ゲーミングPCを入手!)
ここに挙げたのは私が実際に手にした主なものだけで、多くの人を魅了するゲームの歴史を語るには、質量ともにお粗末な例だと言わざるを得ません。
しかし、私がゲームをこれほど楽しめるいきさつと、私にとってゲームの持つ意味を語るには十分かと思われます。
ゲームとの関わりの大きな転機となったのは、やはりプレイステーションとの出会いでしょう。
子どもと一緒に夢中になって
子どもたちにつられて初めてプレイしたPS2は衝撃的でした。
長編の冒険小説を毎日読み進めていくようなRPGには、中毒性すら感じたものです。
最初にプレイしたドラクエ7とFFⅩは、やはり特に印象深く、今も私の中での最高傑作と言えます。
早く攻略したいという思いと裏腹に、ゲームが終わりに近づくのは名残惜しかったし、エンディングに予想以上に感動した後には、確かに”ロス”を実感している自分に驚いたほどです。
子どもたちと私の3人がそれぞれ交互にプレイし、ひとがやっている時にはお互いに必ずそばでワーワー言いながら観戦していたといった感じです。
操作がとろくて進捗の遅い私は、その分を追いつくために、大人の特権で、ずいぶんと夜中にひとり熱中して遊びましたけど。
プレイ時間だけを比べれば、子どもたちの2倍は楽しんでましたね。
また、レーシングゲームのクラッシュバンディクーは、当時小学生だった息子と競うのに絶好のゲームでした。
コントローラー操作はやはり息子の方が上で、ほぼ勝てない毎日でしたが、それだけにたまの勝利がこの上なくうれしかった―
そうそう、「ドリフト」という言葉を知ったのもこのゲームでした。
思いもかけず後押しされて

そんな子どもたちがそれぞれ自立し、私もいよいよ子育てから手が離れた頃、ある出来事がありました。
還暦を目前にしたある年の誕生日、娘からプレゼントとして届いたのは、なんとPS4本体とFFXVのゲームソフト。
今になって自分が遊ぶためだけに高価なゲーム機を買おうなどと考えることもなかったので、思わず歓声を上げてしまいました。
これは何としても自分の力で遊べるようしなければと、敢えて夫に頼ることはせず、一人でテレビとのセッティングに奮闘!
この時の一番の収穫は、HDMI分配器の存在とその便利な働きについての知識をネットから得、実際に家電量販店の売り場から自力で見つけ出し購入できたことです。
遊びたい一心とはいえ、こんな些細な体験が自分の成長への自負につながるとは・・・

ちなみに、就職して間もない息子は、「ゲーム三昧で運動不足にならんように! コントローラーを握る時は、これに座って体幹を鍛えなさい。」と、バランスボールを贈ってくれました。
母のゲーム好きに理解を示してくれる、娘といい、息子といい・・・
まさに、「私の子育て、大成功!」と叫んだ瞬間でした(笑)
以前より多少増えた自分の時間、子どもたちに後押しされて、一片のうしろめたさも感じることなく、ドラクエビルダーズ2、FFⅦリメイクをはじめ、またいくつもの新たな感動を味わうことができました。
そして、この後、これも娘からのおすすめで、マインクラフトに出会うことになります。
遊び方に付加価値をつけたくて

PS4で始めたマインクラフトは、遊び方の自由度が非常に高いゲームです。
持ち物ゼロの丸裸の状態から、採集や建築を通して、装備や生活環境を整えながら冒険を続けていくのがサバイバルモード。
一方、あらゆる資材・素材のブロックを自由に駆使しながら、さまざまな構造物の建築に特化して遊ぶのがクリエイティブモード。
サバイバルモード内での遊び方にしても、次々と手ごわいダンジョンやモブに挑んでストーリーを進めていく者もいれば、私のように3年やっててもいわゆるボス戦を戦ったことがないまま、世界の探索や独りよがりの建築を満喫しつつ、まったりダラダラとプレイする者もいるのです。
つまり、やるべきことやその順序、期限などの制約がないので、自分の力量とペース次第でいつまでもどのようにでも遊べるという、たいへんありがたいゲームです。
YouTubeには楽しげな実況動画がたくさん上がっているので、楽しみ方の幅はどんどん広げたくもなります。
私も実際、離れた場所にいても同じワールドに入って遊ぶマルチプレイの面白さを知りました。
一人でプレイしているところに、示し合わせたわけでもなく誰かがたまたま遊びに来るというのは、何とも言えない驚きやうれしさがあるものです。
街を歩いていて偶然仲の良い友達に出会ったときみたいに。
そしてさらに欲が出てくると、MODといわれるプログラムを使ってゲーム画像をよりリアルに美しくしたり、自分のプレイ動画を記録・再生したいと思うようになって・・・
まず、手始めにPS4で自分のプレイを録画してみました。やり方をまとめた解説記事は以下の通りですので、関心のある方はごらんください。
一人でゲーム自体をプレイするだけでなく、記録したり共有したりと、遊び方にはいろいろな付加価値が生まれていくものだと驚いています。
そして、ついに、幅広くそれらに十分対応できるゲーミングPCに手を伸ばす羽目になりました。
長年の家事、育児、仕事にまあまあ頑張ってきた自分へのご褒美という名目です。
まとめ
人は自分が育てられたように、自分の子どもを育てるものだと言われます。
我が家には、祖母や母が実践してくれた「家族みんなで遊ぶ」という伝統がありました。
これからも、子どもたちやその新たな家族を巻き込んで、この伝統を引き継いでいきたいものです。
夢中になって遊ぶことができる環境は、人の健全な成長にとって不可欠だと思います。
そして、その遊び道具としてのゲームは、豊かな人間関係を築き、維持するコミュニケーションツールの一つになると思うのです。
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